神津島 応用編神津島はねえ・・・。 冬に、後輩から電話が来て、 「先輩、僕、春から神津島で採用されます」 ってことがありました。 どういう運命のいたずらか、東京都の公務員になりながら、社会人の第一歩が神津島。まあ、いろんな人生があるんですよ、奥さん。(また見えない主婦に話しかける管理人。最近疲れているらしい) 神津は漁業の国なので、観光に力を入れたのは最近という印象があります。 したがって、宿には当たりはずれがけっこうあります。 まあ、離島に来る以上は、それが醍醐味なはずですけれどね。 健闘を祈ります。 式根島に来るときと同じ要領で、まずは観光協会に電話をかけ、 (神津島観光協会= 04992ー8ー0321 FAX 04992ー8ー0323 ) どんな宿がいいか紹介をしてもらうといいと思います。 (「海から近い」「食べ物がおいしい宿」「釣りができる宿」など) あ、お土産は焼酎「盛若」です。 飲むとモリモリ若返るという、伝説のお酒です。 管理人はよくお世話になっています。 (20歳未満購入禁止) まずは神津島の観光スポットについて書きますか。 海岸線の美しさは言うまでもないですし、海の美しさも伊豆七島ですから深い青です。 風は強く、波も荒いと感じます。まったく、神津島は風が吹いていないときがないんじゃないかと思うくらいです。 そんな話を今日は書こうかと思います。 車でないといくのが少し大変ですが、「おたあ・じゅりあの墓」について。 小西行長に育てられ、長じてクリスチャンとなったジュリア姫(洗礼名)は、家康の大奥に仕えていたが、キリシタン禁教令に触れて島流しになり、神津島で殉教の生涯を終え、この地に葬られました。ジュリア祭という祭りも5月にやるそうなのですが、このじゅりあの墓というのがくせ者です。 ありま展望台という高台に、真っ白で巨大な・・・十字架が立っています。 ブラジルですかここは(反語)。 思わず突っ込みながらサンバを踊りたくなること確実のなんというか微妙きわまりない巨大十字架です。 人気スポットらしいのですが、どうなんだろう・・周囲になんにもないなかで、ポツンと立つ十字架。そう、十字架。十字架・・・ 気を取りなおして赤崎遊歩道。神津港から歩くと1時間20分程度。島の北西部あたりですが全長500メートルほどの木の階段というか岬に突き出た縁側です。なんていうんだアレは・・・そうか、遊歩道か。 なかなか見晴らしのよさそうな場所なのですが、第一印象は 「あんな場所にあって大丈夫なのか」です。 案の定、現在工事中で、聞いてみたところ「一般の人は入っちゃダメダヨー」と現場のおやじさんたちに教えてもらいました。 てか、神津島って村以外の場所では本当に人間が工事しているおやじさんたちしか出会えませんでした。 メインが山登りだったもので、人にはあまり出会えなかった旅だったのですが、民宿のおかあさん以外は神津の人は全体に愛想がないかんじがしました。式根島だと聞いてもいない観光スポットまでついでに教えてくれたりしそうなところ、観光地としての自覚は少ないようで、あとから地図で「なんでさっきの人はついでにここに寄れって言ってくれなかったんだろーか」みたいな場所が何カ所もありました。 また、神津は方言が式根島や利島よりも荒い印象があるので、ぼーっと聞いていると喧嘩しているように聞こえます。島が大きいせいか(笑)、声も大きいし。 ところで、島そのものの大きさと、人が住む場所そのものの広さは必ずしも一致はしていないわけです。(文章変ですが内地の人に伝わりますかね?)つまり、式根島はセマイ島なのですが、カンビキのあたりを除くと比較的島中人間が住むことができます。 ところが、意外に神津は大きい割には人が住むことができる土地が限られ、セマイ村落にぎゅうぎゅうと暮らしているという印象がありました。 島のほとんどが坂道であることもあって、全体に神津が広いはずなのに狭苦しく感じたのはそのせいのような気がします。 今調べたら、村落そのものは4ヘイホウキロメートル(奇しくも式根島の全面積と保母等しい)、ここに700世帯・1800名だかの(人口はうろ覚えです)が住んでいるのだというのだから、280世帯584名(最新調査・17年1月の役場発表の人口)の式根島よりそりゃ狭い。 こういった比較だけでも、けっこう面白いものです。 (17年2月末~3月4日の日記を元に再編集しました) ジャンル別一覧
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